考える脳―考えるコンピューター
- Jeff Hawkins and Sandra Blakeslee(著)伊藤 文英(訳)
- 考える脳―考えるコンピューター
- 東京
- ランダムハウス講談社
- 2005
- 4270000600
古典的な AI でもなく、単純な三層構造から成るニューラルネットでもなく、人間の脳の実際の構造をもとにした「真の人工知能」を作ることは理論的に可能である、という趣旨の本。筆者は、あの一世を風靡した携帯情報機器 Palm の開発者で Palm Computing と Handspring の設立者である Jeff Hawkins 氏。Intel のエンジニア、UCLA Berkeley 校大学院を経た後、起業して成功を収めた人物で、現在では Redwood Neuroscience Institute なる研究所を設立し、脳と人工知能の研究を精力的に行っているとのこと。
Palm を本格的に使ったことや所有したことはないけれど、あの Graffiti のアイディアをはじめて知ったときは、そういうやり方があるのかと、すごく感銘を受けたのを覚えている。Graffiti というのは Palm OS に搭載されている、簡略化されたアルファベットの手書き文字を認識するシステムのこと。それまでの文字認識システムに実装されていたような、入力される文字の筆順や形についてのあらゆる可能性を想定した複雑なプログラムを用いるのではなく、あえて入力する人間の側に一定の制約を課すことによって、シンプルではあるが非常に効率的なシステムを実現するという発想が新鮮だった。
その Hawkins 氏が考える、従来のコンピュータと脳の新皮質の根本的な違いは次の4点。
- 新皮質はパターンのシーケンスを記憶する。
- 新皮質はパターンを自己連想的に呼び戻す。
- 新皮質はパターンを普遍の表現で記憶する。
- 新皮質はパターンを階層的に記憶する。
そして、これらの上に成り立つ、人間の脳が有するきわめて重要な特徴は
現実世界の中に構造を見出し、その記憶に基づいて予測を行う
ということであり、これを実装することが次世代の人工知能を作るには重要だと彼は主張する。
Hawkins 氏のアイディアが、今後どのような形で実を結ぶのか、あるいは結ばないのか、それは分からない。大いに期待されたにもかかわらず、結局は日の目を見ることなく終了していった人工知能関連のプロジェクトはこれまで数多く存在した。しかし、認知言語学の立場から人間の知能に興味を持つ者のひとりとしては、Hawkins 氏の考える「人間の脳の本質を模した人工知能開発」には非常にひかれる部分がある。考えてみれば、上に挙げた人間の脳の特徴はすべて、見方によっては、認知言語学においても重要視されている事柄だと言える。
また個人的には、この本の中で、John Searle による「中国語の部屋」の思考実験に基づく主張が全面的にに肯定されているのが興味深い。Searleの主張は、心の哲学や認知科学の領域における論文や書物の中では、頭ごなしに否定されるか、少なくとも部分的に否定されれることが多い。しかし正直言って、どの反論をとってみても、本当に説得力があるとは思えない。Searle の意見が掛け値なしに正しいものなのかどうかは分からない。しかし、簡単には反論できない彼の主張をいったん認めた上で新たな理論を構築しようとする姿勢には共感が持てる。
Searle の重要な論敵である Daniel Dennett や Paul Churchland は、この Hawkins 氏の試みをどのように見るだろうか。おそらく彼らにとってはさまざまな種類の反論が可能であろうと思う。しかし、もしも Hawkins 氏が実際に、高度な知性を持ったコンピュータを完成させるということが起こりえたならば、それらの反論の多くは意味をなさなくなるだろう。そういう点で「ものづくり」ができる人々、エンジニアというのは、やはり強いなと思う
